最近、
「何のために教師をしているのか?」
「この教師としての行動は何のためにしているのか?」
とモヤモヤと考えることがあったので、自分の思うことを整理していこうと思います。
あれ、自分って何のために教師しているんだっけ?
先述したとおり、先日、この問いについて考える機会をいただきました。
学年主任の先生といろいろとお話をする中で考えることができました。
順を追って書いていきます。
僕、学校研やります!!
私は、この1年間で教師の仕事をする上で何個かチャレンジしたいことを決めていました。
その中でも、学校研(学校の中で行う研究授業)をやるということは、自分の中でも大きな決断でした。
そして、2017年1月1日に書いた「2017年の33個のやりたいことリスト」の中に、「学校研で攻めた授業をする」ということを挙げました。
そして、4月になり、学校が始まり、新しい学年がスタートしました。
今年から赴任してきた学年主任の先生は、とても勉強熱心で素敵な方でした。
その学年主任の先生が
「学校研やるよ」と仰ったので、最初は、「自分がやりたい」ということを言えずにいました。
ただ、「何事にもチャレンジしよう!」
と、自分のクラスの子どもたちにも「ゆうき」の話をしているのに、
「自分が「ゆうき」をもってチャレンジしないでどうする?」
という気持ちがふつふつと湧いてきたので、
先日、「学校研をやらせてください」と学年主任の先生に直談判してきたのです。
そこで返ってきた返答で私は「はっ」と気づかされました。
何のために…?
学年主任の先生は、
「いいよ。でも、何のために学校研をやるの?」
と私に聞いてきたのです。
私は、正直に何のためにやりたいのかを言いました。
「自分の授業力のスキルアップのためです。」
こう言いました。
もう一度、学年主任の先生が私に聞きました。
「何のために学校研やるの?」
「誰のために学校研ってやるの?」
そこで私は気づいたのです。
「そうだよ。目の前の子どものために学校研ってやるんだよ」って。
自分の中で順番が逆転していたんです。
教師としての成長>子どもの成長
教師としての成長<子どもの成長
その時の自分の考えは、前者で、自分の教師としての技量の成長に目がいってしまっていて、目の前の子どもの成長についての意識が薄くなっていました。
もちろん、教師としての成長は大切だと思いますが、それが何のためにするのかということを見落としてはいけないと強く思いました。
「子どものために」が先で、その後に教師としてどうかということがくるということが自分の大切にしていたことだよなと再認識させられました。
教師として「子どものために何ができるか考えること」、これが教師の仕事の本質じゃないかと私は思いました。
忙しすぎる毎日、多様な価値観の嵐で本質を見失っていた。
教師という仕事は、氾濫した情報、多様な業務、などで忙しい毎日を過ごします。
また、多様な価値観をもった教師の方がいます。つまり、自分の教育観が多く揺れ動くことになります。しかも、かなり気づかないうちに…
そんな毎日を過ごしていると、「本質」を見失う危険があるんです。
私は、「子どもファースト」
子どものために、子どもの笑顔のために、子どもの幸せのために
が一番の本質だったんです。
でも、
「いかに、自分の仕事を効率よくするか?」
「いかに、自分が教師としてのレベルアップをするか?」
「いかに、他の教師の方に迷惑をかけないようにするか?」
こんなことばかり考えている自分がいました。
もちろん今挙げたことは悪いことではありませんし、むしろ大切だったりすることだと思います。
しかし、「子どものため、自分ができることは何なのか?」
これを考えることが私の教師として先に来ないといけない本質なんです。
この日から、自分の行動をよく振り返るようになりました。
その行動は、「本当に目の前の子どものためか?」って。
教師としての仕事をしている以上、絶対に忘れちゃいけないだと思います。いくら、揺れ動いたとしても…。