1年目が終わり、2年目として小学校教師をやっています。
ようやく、学校の仕事が落ち着き始め、
(落ち着き始めたと思ったら、ここから運動会、音楽会と怒涛の行事ラッシュになるのは置いといて…)
授業を考える時間が取れるようになってきました。
ここで、教師2年目という立場によって、陥りやすいことがありそうな気がしているので、書き留めておきます。
なぜ、「小学校教師2年目が陥りやすい3つの罠」というテーマで書こうと思ったのか
今回、「小学校教師2年目が陥りやすい3つの罠」というテーマでなぜ書こうと思ったのかというと、自分がその罠に片足を入れている気がしたからです。
1年目は手厚く研修等が組まれ、学校でもたくさんの面倒を見てくれました。
しかし、、、
2年目になると、その研修がほぼなくなり、面倒もそこまで見てくれなくなります。
今までと比べかなりの自由を手に入れることはできますが、その分、自分への「自主・自律」が求められるようになるわけです。
これは、かなりの考え方の変化です。
保護されながら過ごす1年目に比べ、自由と責任が求められる2年目です。
だからこそ、小学校教師2年目が陥りやすいと思った3つの罠をここでまとめ、自分への戒めにしようと思いました。
小学校教師2年目が陥りやすい3つの罠
- 助言を聴かなくなる
- 準備をしなくなる
- 自己研鑚しなくなる
私が思う「小学校教師2年目が陥りやすい3つの罠」は上記の3つです。
では、詳しく見ていきましょう。
助言を聴かなくなる
もちろん、ストレートに助言を聴かなくなるということは流石にないと思います。
ここで私が、言いたいのは、吸収しようというアンテナの性能が悪くなるという言葉に言い換えるといいでしょうか。
つまり、1年目はわからないことばかりなので、多くの助言を求めました。
しかし、2年目は、何となく助言をもらわなくても、できてしまうところが増えてきます。
助言をもらう必然性がなくなることが、助言を聴かなくなることにつながってしまうのではないかと思います。
準備をしなくなる
これは、かなり大きいと思います。
1年目の4月なんて不安過ぎて1日にやることを全てWordに書き留め、授業も事細かに準備をしていました。
それが、今では、週案で1日の流れをさらっと確認し、授業もさらっと指導書を見ればそれっぽく過ごすことはできます。(もちろんよくないですが…)
慣れや経験は怖いもので、ある程度の型ができれば、準備をしなくても過ごすことができてしまうようになってしまうのです。
自己研鑚しなくなる
1年目は研修が多くありました。
だから、自己研鑚したくなくても半ば強制的に自己研鑚しなければならない環境に置かれます。
しかし、2年目は研修がほぼなくなります。これは、自ら自主的に自己研鑚をする必要が求められるということです。
それに気づかないと、2年目、3年目と何となく過ごしてしまい、年がいった時に、実力のない先生という結果になってしまう気がしています。
見通しをもてることを良い方向へ
ここまで、「小学校教師2年目が陥りやすい3つの罠」というテーマで書いてきました。
2年目になると、1年間の見通しが良い意味でも、悪い意味でも、もてるようになってきます。
これは、授業でも、学級経営でも、学校経営でも、同様です。
見通しをもてるということは、1年目の時のように多くの労力を使わなくても、それなりに回すことができるということです。
言い方を変えると、自分が培った経験に縛られ、新しいことにチャレンジしなくなるということにもつながると思います。
去年も同じだったから、今年も同じでいいかというようなことになると思います。
そのような考え方にならず、見通しをもてるからこそ、新しいことにチャレンジしたり、今までやっていたことにアレンジを加えたりすることができるといいなと思います。
見通しをもてるということを良い方向に使っていきたいものです。
そして、「自主・自律」という言葉を子どもに言うだけでなく、自分にも言い聞かせていきたいものです。