セカエガ  世界一えがおな先生のブログ

教育×旅×笑顔=私 なブログ

MENU

学校がブラックになった3つの理由

f:id:mn226845:20170517210712j:plain

最近、12時間勤務が続いています。

忙しすぎて、だいぶ疲れ切ってきています。

(私の学校の20代の先生方は、ほぼ13~14時間勤務です。)

 

そんな小学校若手教師の私が、学校がブラックになってしまった理由を考えてみたので書いていきます。

 

  1. 多くの「子どものため」の思いが付け足されすぎた
  2. 家庭・地域の協力が少なくなっている
  3. 学校に求めるものが多くなりすぎている

 私が考える学校がブラックになった3つの理由は上記の3つです。

 

目次

 

多くの「子どものため」の思いが付け足されすぎた

もう間違いなく、これが大きいと思います。

今までの学校という組織は、「建設段階」であったと思います。

 

何もないところから、子どもたちの力を伸ばしていくために、先人の教師たちがたくさんの知恵を出しながら、作ってこられたものだと感じています。

 

長年にわたり、学校行事や特別授業、校外学習など、先生方が頑張って、新しいことを子どものために付け足していきました。

 

それは、とても良いことだと思います。

その思いがないと教師という仕事は、できませんから。

 

しかし、学校には、よくも悪くも「伝統」という文化があります。

その新しいことを始めた先生がずっといればいいですが、その教師はそのうちいなくなってしまいます。

 

新しく始めたこともその先生がいた時は、苦ではなかったかもしれませんが、いなくなると、維持が大変になっていくということは多々あります。

 

しかし、「毎年こうやっているから、今年も例年通りに」というように、今までを踏襲していく学校はかなり大きいです。

 

子どものためにという思いが付け足されたすぎ、そして、伝統になってしまった結果が現在の学校と言えるのではないでしょうか。

 

あるいは、いらないことを削れない状況になってしまったとも言い換えることができるかもしれません。

 

だから、今こそ、現場の教師は、無駄なものや非効率的なものを削るという英断をする必要に迫られているのではないでしょうか。 

  

家庭・地域の協力が少なくなっている

1つ目の問題に拍車をかけているのが、

「家庭・地域の協力が少なっている」という問題です。 

 

教師を退職された方や、50・60代の教師の方からお話を聞くと、

「昔はいろいろと楽だったし、ゆとりがあった」

という話を聞きます。

 

一昔前の教師は、「神様」というような存在で家庭や地域の協力は当たり前のような地域が多かったようです。

 

しかし、現在は、核家族化も進み、家庭の力も弱まり、それに伴って、地域の力も弱くなっています。

 

昔は、家庭や地域がやっていた仕事も現在は教師がやっているということが多々あるようです。

(それが、何なのかすらわかりませんが…。)

 

また、家庭の教育力が弱まっているということも叫ばれています。

例えば、箒の掃き方や雑巾の絞り方などは、一昔前は家庭で教えられていましたが、現在は、小学校で指導していく必要があります。

 

今のは、一例ですが、一昔前まで家庭や地域が担っていた仕事を現在は、教師が負担していると言えるでしょう。

 

学校に求めるものが多くなりすぎている

そして、極めつけがこれです。

正直に言いますが、学校に全てを求めすぎな風潮があります。

 

いじめが起きかたら、道徳を強化しよう

インターネットが普及してきたから、情報教育を強化しよう

人権を大切にしなきゃいけないから、人権教育を強化しよう

金融の知識が日本人は弱いから、金融教育を強化しよう

英語が必要だから、英語教育を強化しよう

 

というように、文部科学省(国や政府)から要望が多すぎるんですね。

で、多すぎるから、結局どれも中途半端になってしまいます。

 

もし、頑張ろうとすると、やはり帰るのが遅くなってしまう。

 

以上のように、文部科学省からも、そして現場からも仕事が一昔前より増えていることがわかります。それなのに、協力する体制は弱体化しています。

 

これなら、学校がブラックになるのは、必然と言えるでしょう。

 

おわりに

現在の学校という組織は、若手の教師の私が言うのもおこがましいことですが、「雁字搦め(がんじがらめ)」の状況にあると言えるでしょう。 

 

教師が疲労困憊では、子どもたちのためには、絶対なりません。

教師の一番の仕事である授業を教えるための「授業を考える時間」が今は少なすぎます。

 

「完成とは、これ以上付け加えるものがない状態ではなく、これ以上削るものがない状態である」

私が知っている名言でこのような言葉があります。

 

先述しましたが、学校は、長い時間をかけて多くのことを付け加えられていきました。

学校行事や地域事業だけでなく、時代に合わせて〇〇教育(人権教育、情報教育など)など。

 

私は、これからの学校の在り方を再検討する時が今来ていると考えています。

これからは、子ども、保護者、教師のためにも、付け加えるという選択から、削るという選択が求められるのではないでしょうか。

 

政府や官僚、家庭・地域などにも頑張っていただきたいですが、私は、教師としてこの問題にどう解決していけるかを考え続けていきたいと思います。